リスク分析の事始め(8) 「大局観を持て」と言うのはたやすいけれども(1)

 いつどんなところからリスク高まるか。個別具体的に予見することは難しい。国家が巨大な諜報機関を構築して備えても、具体的なリスクの権限を事前に察知して対処することは難しい。お金と人を投入すれば潜在的なリスクの所在を察知することができるかもしれないが、その場合はあまりにも多くを察知しすぎてしまい、結局どれが実際に具体的・実際的な脅威となるかが分からない。それは政治判断となる。

 どこにどんな形でリスクが現れるかを事前に察知し、かつ絞り込むには、ある種の大局観がいる。リスクをゼロにすることはできないのだから、どのようなリスクをどの程度自分が引き受けるかは、受け手側の判断基準に依存する。そこで、客観的に自分(個人や組織や国家など)がどのような環境に置かれているか、どのような制約条件の下で活動し、どのような機会や可能性を眼前にしているか。これらを、リスクを負って行動する主体の側が、見極めておかなければならない。リスクを測る一つの中立的な物差しがあるのではなく、それぞれの主体にとって引き受けられる、引き受けるに値するリスクがある。リスクは少なくとも部分的には受け手の認識次第という面がある。リスクの分析はかなりの部分自己分析でもある。

 ただしわれわれはそれぞれが異なる宇宙に住んでいるのではないのだから、何らかの共通の歴史と国際関係の中にいる。独りよがりのリスク認識は危険だ。

 そうなると、時代時代にグローバルな議論の場で支配的な世界認識のあり方に耳を傾けておく、世界で共通の話題になっている歴史書を紐解いておくといった迂遠に見える作業が、自らに課されたリスクの環境を知り、自らの立場と行動の指針を定めるために、意外にも実践的な意味を持つ。そのような意味で「大局観」が必要である。

前のページに戻る