リスク分析の事始め(4)「ブラック・スワン」の出現を占えるのはヴィジョナリーだけ

 

 これまでに2回ほど、非常にミクロな次元での「家政婦は見た」的な情報を

可能な限り得ようとする努力の必要性とその困難さについて記してきた。その際に、企業組織からいうと異質な、それこそ「研究者」のような、直接の利害関係にない自由な立場の第三者との緩いつながりを持っておくことが、意外に重要な情報を、「セカンド・オピニオン」のようにしてもたらす可能性があることにも触れておいた。

 しかし私自身はいつも末端の情報ばかり追い求めているわけではない。社会の低層の情報を吸い上げるのは、あくまでも政治体制や社会運動のマクロの変動につながる兆候を探すという目的のためである。

 政治体制の変動や社会運動の勃興といった非常にマクロな問題は、通常の日本の組織が日常の作業の中で取り組む問題ではない。そんなものを常日頃追い求めているのは研究者のような暇で責任のない立場の人だけだろう、と思われるかもしれない。しかし実際にはマクロの問題は企業や官公庁の活動に大きな影響を与え、制約を加える。直接的にリスクの高まりにつながることにもなる。2011年の「アラブの春」によって口火を切った大規模で連続した変動をもたらし、日本の企業や官公庁の展開に多大な影響を及ぼし、リスクとチャンスの計算に大きな変化をもたらしたことはそのあからさまな例である。

 「アラブの春」のような急激で予想外の大変動はいわば、ありえないことが起こる「ブラック・スワン」である。2011年初頭に大変動が顕在化するまで、アラブ諸国の体制は、学術的な専門業界の通説でも、メディアなど一般的な論調でも、盤石で安定したものと思われていた。しかし2011年1月のチュニジアでの予想外の政権崩壊が、同月エジプトに飛び火し、翌月にはアラブ世界と全世界の万座の注視の元でムバーラク政権が倒壊するに至って「ブラック・スワン」が到来した。

 その過程で、信頼すべき中東専門家の多くが未来予測どころか、今生じている現象を適切に解釈することも、十分にはできなかった。それでは専門家は無意味なのか?私はそうは思わない。ただし、専門家には二つのタイプがいる。通常の研究をこつこつと進めて学会の通説の細部を詰めていく、いわば能吏タイプの専門家と、新しい説を示して新しい現実、しばしばまだ現実化していない潜在的な現実に光を与える、ヴィジョナリー・タイプの専門家である。

 通常の状態では、能吏タイプの専門家の言っていることがたいてい正しい。しかし2011の「アラブの春」のような、通説が通用しない、あるいは通説が成り立つ条件が次々に失われていく状況下では、ヴィジョナリーの専門家が求められる。そういう専門家は多くはいない。たいていは気難しい。性格が悪いと業界で評判が悪い人は、本当に性格が悪いか、あるいはヴィジョナリーであるか、その両方である。

 ヴィジョナリーの発言は、まだ現実化していないことについての先駆的な知見を含むため、しばしば詐欺師のハッタリと区別がつかない。実際に詐欺師であることもある。どうすればいいのか。

 少なくとも、過去に将来を見通したことがあるヴィジョナリーには注目である。過去のある時点までは先を見通していたことは確かであるから。それが紛れ当たりであった可能性もあり、ある時点から神通力を失い単なる詐欺師になってしまう可能性だってないわけではないが。

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