リスク分析の事始め(1)リスクはチャンスと表裏一体

 リスクをめぐる連載を、ここ共同通信デジタルのウェブサイトでもたせてもらうことになった。リスク対策の重責を日本の企業やNGOや官庁などの各組織で担っている方々に向けて、有益な情報・視点を適切なタイミングで提供できるか、身の引き締まる思いである。

 リスクの想定や予知とその対策には、幅広い専門分野の応用が必要だが、私の提供できるのは、中東地域およびイスラーム世界の政治や宗教の動向から想定される、日本の組織の人員とその活動に重大な影響を及ぼす帰結について、できるだけ事前に、その存立しうる可能性の範囲を示す作業である。

 リスクとは最終的には直接関わる立場の人間や組織が判断すべき問題であり、そうするしかない。そもそもある人物や組織にとってのリスクは、異なる立場や場所にいる他の人物や組織にとってはチャンスでもある。

 リスクといっても色々あるが、私の専門上、中東やイスラーム諸国の各国の政治体制のあり方が生じさせる日本人が現地に展開する際に課せられるほぼ恒常的な制約や危険性について順次検討していくとともに、各国の体制が動揺したり崩壊したりする激変リスクに日々注目して、必要な時に注意を喚起していきたい。体制の動揺や崩壊に結びつくか否かにかかわらず、社会からの大規模な異議申し立ての表面化や、テロを含む暴力的な手段を用いる秩序への挑戦が発生すると、現地に展開する日本人や組織の活動は阻害され、利益や人命の損失にまで至りかねない。これらの発生するリスクを事前に可能な限り想定することで、リスクに伴うチャンスを得ることが可能になる条件を整えることができる。私の考えでは、リスクとは対策コストが課せられる負の要素ということではない。リスクとはその裏返しに存在するチャンスをつかむために必然的に伴うものであり、リスク対策はプラスの意味を持つ必要経費である。そのことが早く日本の諸組織で認知されることを、私は望んでいる。

 リスクを認識することは、行動に堅苦しい制約を課されることを意味しない。むしろ事業や資産や掛け替えのない人員の生命・身体への危険を減らすことで、より自由な活動を可能にする。もちろん、自らの身を守りながら自由に行動する自律性を得るためには、まさに「自らを律する」必要が随所に出てくる。それを制約と感じることもあるかもしれない。しかしそれはグローバルな空間で自由に活動することに必然的に伴う義務である。リスク分析とは組織と個人が自律性を確保し自由に可能性を追求するための、不可欠の姿勢である。

 そうはいってもリスク分析の実際の作業は、とある元CIA高官の言う「花の香りがしてくると、近所で葬式があったのかな、と考える」ような、若干陰鬱な思考回路を必要とする。そういった通常とは異なる発想で多くの情報を集め、精査することで、複数の点でしかないものがつながり、線となる。その瞬間に、リスクとチャンスは同時に浮かび上がってくる。そのような意味での、語弊はあるが、リスク分析の「楽しさ」をこの場で共有できればいいと考えている。

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