イスラム過激組織の主導権争い

 話は今夏に遡る。アフガニスタンのイスラム主義勢力であるタリバンに指導者の後継問題が表面化した。合わせて、米軍などが行方を追っていた前指導者のムッラー・ウマルが約2年前に死亡していたことが伝えられた。

 タリバンに関しては、ひところ対米交渉に向けた方針転換が図られ、それに続いてアフガン政府との国民和解の動きもみられた。今から振り返ると、時期的にこれはウマルが主導したものではなく、その名を語る誰かによって進められたことになる。その一人が、組織の新たな指導者に「選出」された、アフタル・マンスール司令官であるとの説がある。

 仮に、マンスールが交渉を志向したとしても、それを以て彼が組織内の「穏健派」として位置づけられるわけではない。マンスールがタリバンの実権を掌握しつつあった過去2年間、アフガン政府軍や駐留外国軍に対する武力攻撃が下火になったことはないためだ。むしろ、過去の経歴からすれば「武闘派」に数えて違和感のない人物であり、一般市民の犠牲をいとわない凶悪なテロ攻撃をしかけるセラージュッディン・ハッカーニ司令官を自分の副官に据えてさえいる。

 ここで人道・開発援助の分野以外で日本との接点が少ないアフガニスタンと、タリバンの事例を取り上げたことにはわけがある。それは、マンスールが後継者選出をめぐるタリバン内部での対立を引き起こしたばかりでなく、「カリフ」の称号をめぐってイスラム国(IS)との間で論戦を繰り広げたためである。マンスールの「カリフ」就任にはタリバン内部からも異論が噴出し、アルカイダの指導者であるザワヒリ師による忠誠の誓いにもかかわらず、従来はウマルに忠誠を誓っていたウズベキスタン・イスラム運動(IMU)などが離反したうえでISのバグダーディ指導者へ鞍替えを表明した。これはイスラム過激組織間で主導権争いが生じていることを物語っている。

 つまり、タリバン内部での対立が顕在化し、さらには統治の正統性をめぐる競合状態が発生した。これはタリバンの新しい指導部に、実績作りを優先させようとする強い動機になる。そして、マンスールは、組織の一体性を内部から揺るがしかねない交渉の促進ではなく、大々的な軍事攻撃を成功させることで国内外の支持を勝ち取ることを目指すだろう。北部の要衝であるクンドゥーズに対してタリバンが攻撃をしかけた背景の一つである。

 分派が生じた際、戦果を上げることで組織の存在を示し、求心力を高めようとする。洋の東西を問わず、各地で見られる手法であるだけに、同様の事例にじゅうぶんな注意を払うべきである。

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