SARS(2)

グローバル・アラート

 ウルバーニ博士からの情報を受けてWHOは3月12日に重症非定型肺炎に関するグローバル・アラートを発表する。更に2日後、中国、香港、ハノイに続いてカナダ・トロントで香港から帰国したものとその家族に4人の非定型肺炎が発生し、うち2人が死亡したというニュースがWHOに飛び込んだ。同日、シンガポールでも数名の非定型肺炎が発生しており、この患者を診療した医師がアメリカにおける学会帰りにドイツ・フランクフルトで発症。僅か2日の間に世界各地にこの感染症が飛び火していることが明らかとなった。そのためWHOは3月15日、警告レベルを引き上げ、緊急旅行延期勧告を発令したのであった。そして、WHOはこの重症非定型肺炎を「重症急性呼吸器症候群:Severe Acute Respiratory Syndrome: SARS」と名づけ、これが「世界的な健康上の脅威」であると宣言した。さらに診断基準を設け、世界サーベイランスシステム樹立に向けて動き出したのである。

WHOのグローバル・アラートの意思決定過程には諸々の要素があったとは思う。あなたは何が最も大きな要素だと思うか?

WHOはウルバーニ医師からCDC友人を介した情報を深刻に受け止め、グローバル・アラートを出すに至った。WHOは各国に事務所をもつが、政府に強い影響力をもつ国もあれば、もたない場合もある。そこが、国際機関の弱みであろう。ベトナムに対してWHOは強い指導力を発揮できているが、カナダやシンガポールなど、既に自国に保健システムが確立している国においては、あまり介入できていない。そして、中国の場合には、WHOが入国して勝手に調査することを許していない。ウルバーニ医師がたまたまベトナムに駐在しており、現場の状況を最初からみていたことが大きかった。そして信頼できる専門家からの強い要請がWHOを突き動かしたものと思う。もしも2002年中国広東省でアウトブレイクが発生した時点でWHOやCDCなどの専門家が入って入ればパンデミックになることもなかっただろうし、犠牲者ももっと少なかったであろう。

SARSウイルスを発見

 WHO主導のもと、世界11の研究機関でSARSウイルスの遺伝子解析が行われた。場所は離れていたが、テレカンファレンスやウエブ上でのデータのやりとりによりわざわざ集まって会議をすることもなく共同作業がすすんだ。この昼夜を問わない研究成果としてアメリカ、カナダ、ドイツによりSARSウイルス遺伝子配列全貌が明らかにされた(Science. 2003;300:1394-404)。そして、このウイルスはコロナウイルスという通常は風邪を引き起こす弱いウイルスと似たものであることが判ったのである。このウイルスの亜型が一部の動物にも存在し、今回のSARSウイルスはそのいずれとも異なるものだったのである。すなわち、今までの経路から広東省で何らかの動物からSARSウイルスが人、特に動物取扱業者に感染したと考えられる。しかし、どの動物種かははっきりしていない。タン・トック・セン病院の感染科、リン・ポー・リアン教授の話では、「SARSの自然宿主はコウモリだろう」とのことであった。

シンガポールへの飛び火

 シンガポールでも,香港帰りの3人の旅行者が流行のきっかけだった。3人とも2月の終わりにメトロポール・ホテルの9階に滞在していたのである。彼女らは,3月13日には非定型肺炎の症状を呈していたが、3月22日の時点で20人の友人家族,そして21人の医療従事者に感染を広げることになる。どの国でも似たパターンだ。
 彼女らを最初に診察した32歳医師は、そんなことになっているとは知らずにアメリカの学会に参加していたのだ。3月15日学会からの帰途、ニューヨークからフランクフルトで飛行機を乗り換える間に彼は発症した。搭乗直前に彼はシンガポールの医師の同僚に症状を伝えたために、この同僚が警戒し保健当局へ報告。さらに連絡がWHOに届き、この医師と30歳の妊娠中の妻、そして62歳の義母の3人はフランクフルトで降機、隔離されることになる。そしてヨーロッパ最初のSARS患者となった。国内で発症していなくとも、アジアと西欧諸国の中継点となりうる日本で同じことが起こってもおかしくはなかった。 これを受けてシンガポール政府は,即日次のようなSARS対策を打ち出した。シンガポール政府の動きは最も迅速だった。
 私も会議に出席するためSARS流行直前までシンガポールにいた。私は滞在中インターネットで「中国で変な肺炎が流行し死亡もでている」というニュースを入手してはいたが、その後、このような形で世界に広がるとは想像さえしなかった。

 シンガポール政府が最初の打ち出した方針は以下の如くである
(1) 疑い例,可能性例ともに2つの病院に集める
(2) 逆にこの病院ではSARS関連外の新患を救急であっても受けない
(3) 慢性疾患の外来受診を制限
(4) ICUを必要とする手術を延期
(5) 見舞いの禁止
(6) SARS対応医療スタッフはSARS以外の患者と接触しない
(7) 医療スタッフは全員マスク,手袋,ガウン着用

 それにもかかわらず,3月23日と27日にまたもや旅行者が香港からSARSを持ち帰るなど,感染拡大の兆しがあった。政府は,彼らの行動をつぶさに開示している。そして、SARS患者との接触者、すなわちSARS発症の危険性のある人の洗い出しを急いだのである。この予防策はWHOの推奨した基準を更に強化したものだった。
(1) 空港の防疫強化
(2) 患者収容病院の一本化
(3) 患者と接触した者の自宅隔離(抜き打ちで連絡をとり遵守していることを確認する)
(4) 医療スタッフの健康チェック
(5) 学校の閉鎖
(6) 国民に対する啓蒙
(7) 病院前テント設営による発熱患者トリアージ:熱がなければ病院内へ,熱があればテント内でレントゲン撮影を施行し,SARSの疑いが強ければSARS指定病院へ直接搬送する

 シンガポールに限った問題ではないが、多くの人は家に閉じこもり街はたちまちゴーストタウンと化してしまった。バス、電車、ショッピング街、プールはがらがら、空車タクシーも行列を作って客を待つ状況だった。そして、メディアは連日SARSの状況をトップニュースとして報道し、市民の会話はSARS一色となった。マスク、ビタミン、中国茶は飛ぶように売れた。一方、ニューヨーク同時多発テロ、イラク戦争、バリ島テロなどが重なり旅行会社、航空会社のダメージは極めて大きかった。観光は東南アジア諸国にとって大きな産業である。GDPの10%前後を占めているのである。SARSによる経済被害は総額で300億ドルを超えると推測されている。
 時系列でみていくと,政府は「問題である」と認識してから,遅くとも5日,早ければ翌日に対応策を打ち出している。シンガポールには凛としたリーダーシップがあり,国民はリーダーへの絶大な信頼をよせているのがわかる。その結果,SARSは終息した。過去からめんめんと繰り返されてきたこの疫病の伝播は,人の流れの国境がなくなった今,迅速かつ強力な国家レベルの施策によってしか,食い止めることはできないのである。

カナダ・トロントへの飛び火

 カナダ・トロントの初期感染拡大に関しても詳細に報告されている(NEJM 2003;348:1995)。

トロントにおける感染経路図
トロントにおける感染経路図

 

 香港出身トロント在住のある夫婦は,旧正月のため2月の13日から2月の23日まで香港の親戚宅に滞在していた。しかも,2月18日から2月21日まで香港のメトロポール・ホテルに宿泊していたのである。中国人医師が,2月21日にこのホテルに宿泊していた点は先に述べた。この日に何らかの感染経路でうつってしまったのだ。その日,夫婦はほとんど息子宅で過ごしたため,ホテルに滞在したのは夜だけだった。そして,2月23日にトロントに帰国。2日後,妻が高熱で発病,3日後近くの病院を受診し,咽頭発赤程度の所見しか認められず,経口抗生剤を処方されて帰宅となる(患者1)。2日して咳の回数が増え,呼吸困難もひどくなり,翌日彼女は自宅で死去した(3月5日)。家族が望まなかったため剖検は行なわれなかった。死亡診断書には心臓発作と記載されたのみであった。SARSは、最初風邪と区別がつきにくいが,ある日ある時より突然状態が悪化する。彼女は夫に加え,息子2人,義理の娘1人,5か月の孫と一緒に暮らしていた。息子の1人が2月27日に発病(患者2),5日後解熱はしたが,咳の回数は増え,胸痛,呼吸困難なども加わっていたためスカボロ病院を受診。その時点で酸素飽和度が82%にまで低下。彼には入院が必要と判断されたが、人の出入りの激しい急患室で18時間も待たされた。隣の患者とはカーテンで仕切られているだけである。日本の急患室の現状と似ている。待っている間、酸素とネブライザーが使われていた。このネブライザーを行うことにより、水蒸気が患者気道に入る。そこでSARSウイルスをピックアップし、呼気にのって空気中に広がってしまえば、あたかも空気感染のように感染拡大する可能性がある。このタイミングで急患室を受診した2人がSARSに罹患している。この2人は患者2と直接接触をもっていなかった。患者2は3月15日に死去。また、患者2と急患室に居合わせた患者8は3月13日に心筋梗塞で同病院に救急搬送され入院となっている。この時点でWHOはグローバル・アラートをだしていた。患者2と救急室で接点があることは確認されていたが、入院の時点で熱も高くなく胸部エックス線写真でも淡い陰影しかなかったため、SARSではないと判断されてしまったのである。そして、地域の総合病院であるヨーク中央病院に転送された。彼は次の病院で50人以上にうつしてしまったのだ。そして、まもなくヨーク中央病院は閉鎖されることになる。
 WHOに拠出している国は会社でいうところの株主である。観光客が極端に減少する中、カナダ政府はWHOに相当のプレッシャーをかけていた。SARS患者は減少傾向を示していたことから、5月14日WHOは「最近の地域内伝播」があった地域の一覧からカナダをはずした。他国よりは早期の判断である。しかしSARSの火は消えていなかった。もう一度の流行を経て、6月に入ってようやく終息傾向を示した。

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