危機管理の基本:その⑤ 感染性はあるか

感染性か?

コッホの四原則は感染症の病原体を特定する際の指針として使われてきた。

 1. ある一定の病気には一定の微生物が見出されること

2. その微生物を分離できること

3. 分離した微生物を感受性のある動物に感染させて同じ病気を起こせること

4. そしてその病巣部から同じ微生物が分離されること

  パプアニューギニアがオーストラリア領であった頃、オーストラリアのパトロールが原住民に奇妙な病気があることを発見した。歩行時のふらつきで始まり、手足をコントロールできなくなり、やがて全身に振戦が出現する。そして一月もすると立つことも歩くこともできなくなってしまう病気だ。運動能力の衰退と平行して精神状態も荒廃していき、数ヶ月すると肺炎を併発して発症から半年以内に死亡する。この奇病は20世紀初頭よりあったようだが、1950年前後より増えている。

 1957年、ジガス博士はニューギニア東部高地でこの病気のアウトブレイク114人を調査し、クルと名付けた(NEJM 1957; 14: 974-8)。クルとは現地語で「恐ろしい」と「震える」という意味がある。犠牲者はほとんど女性と子供であり、成人男性の罹患者はわずか5%だ。致死率は極めて高く、114人中112人が死亡している。クルは、死者の肉を食べる儀式(カニバリズム)をもつ山岳種族に限られており、男性は筋肉を女子供は脳を食べるのが常であった。博士は脳組織中のウイルスが原因だろうと予想して、調査中に亡くなった患者を剖検した。しかし、感染症であればみられであろう炎症反応が脳に全く見られていない。観察されたのは神経変性所見のみである。脳、髄液、血液からウイルスの培養を試みたが全て失敗に終わる。しかし、1950年代後半よりカニバリズムをやめてから徐々にクルは減少していった。

 あなたなら、感染性をどう証明する?

  博士はクル患者の脳組織をチンパンジーの脳内に注入。30ヶ月後にクル病同様の症状が発現するのを確認。このチンパンジーを安楽死させ、さらにこのチンパンジーの脳組織を別の2匹のチンパンジーに脳内注入し、23、26ヶ月後に同症状で発症することを確認 (Science. 1968;162:693-4.)。微生物を発見できなかったが、感染性を証明したのだ。博士は従来の感染症と異なり数年後に発症するところからスロー・ウイルス感染症と命名した。そして、他の神経疾患:クロイツフェルト・ヤコブ病などもスロー・ウイルス感染症だろうと予言している。1976 年、「クルは感染症である」ことを発見したことにより博士はノーベル賞を受賞。しかし本当の原因が明らかになるのにはプルジナー博士の研究を待たなくてはならない。1982 年カリフォルニア大学の神経化学者であるプルジナーはサイエンス誌に「スクレイピ(羊に海綿状脳症を来す致死性疾患)を引き起こす蛋白様感染性粒子」として発表している(Science 1982; 216: 136-144)。博士はスクレイピの原因感染蛋白を同定純化しプリオンと名付けた。プリオンの特徴は通常のウイルス不活化法ではその感染性を変えることができない、遺伝子を含まない、自己複製能力をもつ点である。博士はこの研究により1997 年ノーベル賞を受賞した。そして、この研究は肉骨糞―狂牛病―クロイツフェルト・ヤコブ病のラインにつながっていく。感染症を引き起こすものはウイルス、細菌、真菌、寄生虫という微生物にプリオンという蛋白が加わったことになる。

 このケースで注目されるのは、プリオンという原因が同定されるよりも前にカニバリズムをやめることによりクルの犠牲者の数も減少した点である。つまり原因が判らずとも疫学的に伝染経路を特定してこれを断てば感染症を防ぐことは可能ということだ。天然痘は最たるもので、ウイルスの遺伝子配列が明らかにされる前にこの世から消滅した。もちろん科学を否定するものではないが、原因が明確にならずとも疫学的暴露を減らせば病気を減らすことができるのだ。

 コッホの4原則は細菌感染で証明しやすいが、他のものは難しい場合も多い。そのため近年、この原則はあまり適応されていないように思う。疫学的には類似の症状を示す疾患発生が時間的、空間的に同じ症状集積したとき感染性が考慮される。しかしながら、環境因子に暴露されることにより発症する疾患があったとき、あたかも感染症のように見えることもあるため注意が必要だ。有機水銀が原因であった水俣病がそうであったように。

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