SARS(1)

広東省

一通の電子メール

2003年2月10日になってWHOの北京事務所は、広東省で一週間のうちに、「不思議な伝染病がすでに100人以上を死に至らしめている」という内容を記した一通の電子メールを受け取った。このメールはさらに人々が、「効果が有ると考えられる、ありとあらゆる薬剤のストックを現在空にしつつあるという“パニック行動”を取っている」ことも報告していた。中国広東省仏山市ではじまった変な肺炎は、実は2002年11月16日頃よりはじまっていたのである。2002年の11月から2003年の2月の間に305人が同様の肺炎に罹患し,5人が死亡した (Lancet. 2003;362:1353-8)。世界の感染症情報が載るインターネットサイトのProMedにも2月10日に類似の投稿があった。

ヘルス・カナダには2ヶ月も前から中国語で「中国におけるアウトブレイク」を報じる多数の投稿があった。広東省での致死性肺炎の流行に関する中国語のレポートは、題名だけ英訳されてWHOに送られたが本文が翻訳されることはなかった。しかも、2月18日,中国CDCが剖検結果より「クラミジア肺炎が原因であり、既に終息傾向にある」と宣言したため本当の恐さがわからないまま被害は拡大してしまったのである。クラミジア肺炎では死亡するほどの重症例はめったにない。よって、この時点で中国CDCもWHOも「何かおかしい」と気付いて現地調査などの行動を起こすべきだった。感染症拡大を防ぐには「どの時点で異常事態に気付き、行動を起こすか」にかかっている。

香港

2月21日、広東省の64歳の医師は結婚式に出席するために香港にあるメトロポール・ホテルの9階911号室にチェックインした。911という数字はアメリカで救急車あるいは消防隊を呼ぶときの電話番号であり、アメリカ同時多発テロのあった日付も9.11であった。因縁めいた数字である。この医師は5日前から症状はあったものの、21日の時点では香港在住の53歳の義弟と共に10時間もの間、観光をしたり、買い物をしたりすることができるほどの元気はあった。ところが翌日呼吸困難となり、香港のプリンス・ウエール病院を受診。呼吸不全と診断されそのまま集中治療部へ入院。医師は最期に医療スタッフに「とてもたちの悪い病気にかかってしまったようだ。これから何か悪いことが起こるような気がする」という不吉な言葉を残して3月5日に死亡した。彼は本症に罹患する前、広東省で肺炎の患者を治療していた。医師が患者と同じ病気になって死亡したという事実は重く受け止めるべきであったが見過ごされた。この頃、広州市では「謎の肺炎」の感染は終息しているどころか、かなり拡大していたのである。そして、50人以上の病院スタッフが肺炎に罹患していたのに、中国政府はこの事実をWHOなどに報告していなかった。早期の情報開示が成されていたら多くの人が命を落とさずにすんだかもしれない。

2月上旬から中旬は中国旧正月にあたる。世界中に散った華僑が出身国に帰ってくる。そして、21日香港メトロポール・ホテルに宿泊していた12名が,ベトナム,シンガポール,カナダ,アイルランド,アメリカに感染を拡大させることになる(NEJM 2003;348:1977)。特にベトナム人1人、シンガポール女性3人、中華系カナダ人2人は同じ9階に宿泊していた。この香港最初の患者は9階フロアで嘔吐している。3ヶ月後に調査をしているが、SARSウイルスの遺伝子が911号室外のカーペットやエレベーターなどからも検出された。遺伝子のみでは既に感染力はないが、当日このフロアの多くの場所は吐物などを介してウイルスに汚染されていたのだろう。いずれにしても、ウイルスは飛行機のスピードで世界に飛び散ってしまったのである。

ベトナムへの飛び火

この10人の1人であった47歳のビジネスマンはベトナムに立ち寄り,2月26日に呼吸不全症状で発症。ハノイのフレンチ病院に入院。この男性は、上海、広東省、マカオと中国各地を旅行していた。2月17日に香港へ戻り、メトロポール・ホテルの9階の、広東省からの医師と廊下を挟んだ向かい側の部屋に宿泊した。ここで感染したと考えられる。WHO事務所に所属する疫学者カルロ・ウルバーニ博士は、この男性患者診療にあたった。激烈な症状の悪化を目の当たりにしたウルバーニ医師は「何かが違う、新型インフルエンザではないか」と懸念し、マニラのWHO西太平洋地区事務所に報告した。

カルロ・ウルバーニ博士-ベトナム・ハノイからの警鐘

この患者は依然として状態が好転しないため、3月5日香港のプリンセス・マーガレット病院へ転院となる。しかし、その患者看護に当たった7人の医療従事者が感染してしまったのだ。急を要すると判断したウルバーニ博士は3月6日の時点でスイス・ジュネーブにあるWHO本部に直接電話をしている。そして、更なる感染拡大を防ぐべく尽力したが、感染は医療従事者を中心として徐々に広がり3月10日の時点で、少なくとも22人の病院スタッフが、インフルエンザ様の症状を発症していた。20人が肺炎の徴候を示し、ひとりは人工呼吸器を必要とし、他も危篤状態であった。翌11日、ウルバーニ博士は熱帯医学の会合で発表するために、バンコクに飛んだ。ところが、到着時に具合が悪く、直ちに入院することになってしまったのである。彼は空港でCDCからの友人と会い、ベトナムでの状況を伝えると同時に、自ら隔離を志願し、タイの病院に入院。

一方ベトナムでは、3月11日の時点で23人が隔離病棟に入院していた。12日、ハノイのフレンチ病院のスタッフに病魔は拡大しつつあり、5人が重篤な状態に陥っておりとても新規患者を受け入れられる状況ではない。

ハノイ フレンチ病院

ハノイ フレンチ病院2

感染者は既に36名。これに対してベトナム保健省は患者家族の見舞いを禁止し,診療医師も病院に寝泊りするなどして徹底的な隔離を行った。さらに,SARS疑い例に対して発症24時間以内に最近の行動に関して詳細な聞き取り調査を行っている。 また,死亡患者名までも含めて徹底的な情報公開に踏み切った。もちろん,海外からベトナムに入る人たちも入念にスクリーニングされた。4月8日以降ベトナムでは国内感染例を認めず,他国に先んじて4月28日SARS終息宣言が出された。このことは、「感染拡大阻止に近代的感染隔離室が必ずしも要らない」ことを証明している。しかし,その背後ではカルロ・ウルバーニ博士の献身的な犠牲があった点を見逃してはいけない。博士はイタリア人医師でカンボジア,ラオス,ベトナムのパブリックヘルスを改善するWHO専門官で,ハノイに駐在していた。彼のSARSに対する警鐘が発信されたのがきっかけで,世界のサーベイランスシステムが一層強化され,ベトナムでいち早く終息宣言を出すことができたのである。しかし,3月29日、博士はバンコクの地でSARSのため他界した。

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